自分と紙の関わりについて、
ちょっとこれは忘れないうちに
どこかにメモしておいた方がいいなぁ、と
思うことがあります。
それは小学6年の頃の「再生紙作り」のこと。
紙を作っていたのです。クラスの仲間たちと。
とりあえず、どんなものか写真で紹介します。
紙というより、掃除機の中のゴミを固めたような質感の
これが、僕たちが作っていた紙。
(当時の本物)
今となっては、なぜそんな事が流行ったのか
きっかけを思い出せないのですが、
とにかく、何をしていたかを書いてみます。
★ ★ ★
6年生の冬の話です。
この紙作りはストーブの熱を利用するので
冬限定の遊びになります。
1.ストーブの上の、アルマイトの洗面器に入っているお湯を沸騰させる。
(当番がお湯の温度を調整するために水を注ぎ足しにくるのを阻止する。
ていうか、水の注ぎ足しを自分たちが
一手に引き受けられるように女子と話をつける)
2.休み時間のうちに、段ボールの切れ端を
沸騰したお湯に浸けておく。
段ボールは給食室でもらってストックしておく。
研究の結果、バナナの入っている質の悪い段ボールが
煮込みやすい、と僕たちは気付いた。
そして、ハサミで切るより手でちぎる方が煮込みやすい、とも
僕たちは気付いた…。
3.授業を受ける。
たまに段ボールが煮込まれているところを
想像したりもするが、
こんな怪しげな活動を黙認してくれている
担任の気持ちに答えるべく、授業は真面目に受ける。
4.煮くずれるまで、何時間か授業を受ける。
(休み時間ごとの確認は怠らない)
5.程よく煮くずれたら、板の上に引き上げ、
火傷をしないように気をつけながら
グチャグチャと揉み込む。
6.板の上に薄く伸ばして天日干しをする。
7.乾いたら板から引きはがす。
という工程。
僕たちの気分としては、出来上がった紙への興味よりも
作る工程の方に楽しみを見出していて、
何かの職人にでもなったような気分を楽しんでいたのでした。
でもこれは、厳密には紙を「作って」いたのではなくて
紙の繊維をほぐして別の形に「変換」していただけのことで、
例えるならば、
女子高生がチョコを溶かして型に流し込むだけで
「手作りチョコ」と言っているのと同じ話だ、と
今となっては思うのですが、
でもやっぱり、そこは、何というか
「手間をかけている」というテンションとか、リアクションとか…
そういうものがあってこその「楽しい人生」だとも思うわけです。
★ ★ ★
卒業が迫った頃、最後に今まで作った事もないような
大作を作ろうという話になりました。
そして、かなり大きな紙を作って
マジックで寄せ書きをした後、ちぎってみんなで分けました。
そして「いつの日か、このカケラをみんなで持ち寄ろうぜ…」
みたいな話をしたのでした…
ぼくは、たまたまその紙を自由帳に挟んでいたので
(自由帳を捨てる、という考えは無かったので)
奇跡的に今もその紙を捨てずに取っておく事ができました。
それが写真のこれ。
みんなも… まだ持ってるかなぁ…。
さすがに捨ててしまっただろうなぁ…。