その事故について言葉にする事は
今もできない状態です。
その事故の事を思うと、いろんな事を同時に考えてしまって
いろんな言葉が浮かんでしまって、
でも結局、自分の思っている事は言葉にはならない、という状態です。
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三沢光晴選手との対談が行われたのは随分前の事でした。
ですが、その対談をテキストに起こして発表するまでには
結果的にとても長い時間がかかってしまいました。
それは、「カミロボ」として
他に動いている事とのタイミング合わせなど
マネージメント会社の意向や調整があり、
それらの動きによって対談の掲載媒体についても
定まらない状態が続いたためでした。
が、そんな中で、ようやくその対談を
ウェブブックという形で公開する事が決まり、
プロレスリング・ノアさんに対しても
最終確認を出しています、とスタッフさんから聞いていた、
まさにそのタイミングであの事故を知る事となりました。
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対談の時は、とにかく
日本を代表する大物プロレスラーの
オーラに圧倒されてしまって
しどろもどろになったのを覚えています。
ですが、そんな僕に対して三沢さんは
わざとワルっぽい言葉遣いで話したり
ちょっと艶っぽい話を織り交ぜたりしながら
話しやすい空気を作って下さいました。
そんな三沢さんの優しげな雰囲気が
今も強く印象に残っています。
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今、あらためて対談を読み返してみると、
自分自身、なんて失礼な物言いをしているのだろうか、と
自己嫌悪でいっぱいになり、
また、三沢選手の身に起きた悲劇と
宙ぶらりんのまま残ってしまったバカバカしい紙ロボットの話の対比を
自分の中でどう咀嚼すればいいか戸惑う部分もあったのですが、
希代の天才プロレスラー、三沢光晴選手が
インタビューという形で遺された言葉は
責任を持って発表するべきではないか、と判断し、
公開させていただく事になりました。
対談をするにあたってお世話になった関係者の皆さんに
この場を借りてお礼申し上げます。
そして得体の知れない訪問者の奇妙な話に付き合って下さった
天国の三沢光晴選手に心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
安居智博
カミロボウェブブック
[特別対談] 三沢光晴 × 安居智博 |